おめでとうございます。←自分に
ついに 中崎町のカフェマラッカは、2018年7月1日で四年目を迎えることになりました。
おもいおこせば、、2015年の6月30日の深夜に、一人で長い梯子にのぼり、店のロゴを緊急で張り替えて、7月1日からカフェマラッカという店の名前に急遽変更して経営を始めました。当時は新規店舗としてオープンすることなどを全く広報しませんでした。
オープンを広報しなかった理由は、前のカフェであるカフェテリアソンリサへの配慮でした。前のカフェが急遽閉店となったので、前のカフェの代表者に配慮して、店の閉店などをしっとりと行いました。
後になると大阪簡易裁判所で調停をするほどに関係がこじれたので、そのように配慮したことが一切意味がなかったことを知るのですが、笑
当時は前のカフェの代表者(ここでは徳永さんという仮名にしましょう)に配慮をして、カフェマラッカの新規オープンを全く大々的に行いませんでした。
本当に懐かしい話です。あのときからついに3年間も経過したとは。
4年目をむかえ、先週にはテレビ(関西テレビ)にも放映いただいて、本当に嬉しいです。
先週テレビで放送されたあと、すぐにTwitterに店への文句の書き込みがきたので、やっぱり文句を言われることだけは最速だな、と思っていました。Twitterに文句をかいていただいても、こちらは投資もなにもできないし、その1人のお客さんのために今あるシステムを変更することはできません。Twitterでわざわざ文句をいってきて、何を期待しているのだろうとおもって、悩んだのですが、相手のフォロワーも少ないし、なにもしないほうがいいな、と思いました。
文句を言われたことで思い出した。
そう、2015年の7月1日もそうです。あのときは周辺から文句を言われながら、店の名前やロゴを変更していったことを思い出しました。
2015年にそもそも、なぜ前のカフェテリアソンリサ(ラテン系カフェ)をカフェマラッカに変更することになったか?その経緯を思い出したのでお話しましょう。飲食店経営に足をつっこむといろいろとめんどくさいことになる、という典型例のエピソードなので、経営者の皆様に共有しておきたいと思います。
「なぜカフェテリアソンリサは寿司パーティーの後に崩壊したのか」
そもそも話は2015年の4月12日、日曜日にさかのぼります。この時、私はカフェテリアソンリサがあまりにも経営がうまくいっていないうえ(毎月マイナス20万円)に代表者だった徳永が経営を放棄している状態(*1)だったため、毎日、毎月売り上げを改善することばかりを考えていました。なぜそうしていたか、結局不足している資金を代わりに払っていたのは私(トニー)だったからです。代表者の徳永は、代表を気取っているだけで、まったく業務をしていませんでした。火曜日と金曜日にときどき、店舗で労働をしていましたがマネージメント力はまったくなく、しかも高校生や中学生ができるような事務作業もできておらず、伝票や経費の入力がまったくできてない状態だったのです。
(*1)徳永は愛人とメキシコ旅行に行ったり、愛人DJとメキシコ旅行にいったりしていましたが、資金不足のカフェには1円も補填しませんでした。
そこで私は、経営を改善するために店舗の建物全部をカフェにする計画などをたてて、強めに進めていました。そのときに困ったのが2階と4階に住んでいた住人のことです。この2名には、カフェ全体をカフェスペースにするので、移住を進めていました。4階に住んでいたポルトガル人、ここではアレックスさん(仮名)としましょう。アレックスは、建築関係の仕事をしており、自分のスキルをあげるため、経歴を作るために東京での転職を考えており、ちょうどタイミングがよかったため、2015年5月に移住をしてもらうことで話が進みました。こちらは問題なし。
一方2階には日本人が住んでいたのですが、仮名を峰さんとします。峰さんには移住をお願いしましたが、なかなか話が進みませんでした。住宅紹介サービスを一緒に見に行って、近所の中崎町の住宅を探す、ということも行っていました。
そんななか、2015年4月12日に「寿司パーティー」事件は発生します。当時、メキシコ人のタトゥーアーティストが日本にきていたので、イベントとして寿司パーティーをカフェテリアソンリサの 3階で行うことにしました。
そのカフェテリアソンリサの寿司パーティーには峰さんがきませんでした。私が移住の話をしていたので、峰さんはきっとそれが嫌で来なかったのだろうという話になり、パーティー参加者3名も含め、話をするために峰さんのいる場所に行きました。
合計4名で峰さんがいる場所である話しに行った先の南森町のカフェで、私と峰さんが口論となります。ここまでの話は、移住をなかなか決めないことで2人でもめただけなのです。普通の口論です。
このときに近所のバーテンダー(ここでは加盟で緒方 メイズ バー ジョニーとします)が間に入ってきて、私がカフェの代表者でもないのに、カフェの住居のことで偉そうに言うべきではないとけんかになりました。
そのときに、カフェの経営が赤字のこととか、峰さんがカフェのスタッフを飲みに誘うからカフェのスタッフがこまってこっちに相談してきたこととか、カフェの代表者がお金を払わないから補填金にこまってこっちは急いでカフェのたてなおしを考えているとか、関係ないバーテンに話せなかったんです。裏の話はできない。
このバーテンダー緒方は本当に何もしらなかったので、私がカフェテリアソンリサの大半の資金繰りをしていることなどを全く知らなかったのです。
で、このバーテンダー緒方は正義の味方になったつもりで、後日4月13日、めんどくさいことを始めます。近所の飲食店に私がカフェの代表者でもないのに、カフェのことで偉そうに言っている、峰さんに文句を言っているということを言いふらします。このバーテンダーは何もしらないのに周辺に紋幾を言い続けて、さらに私が昼間に会社員をしていたので、事情を知らないうちにカフェテリアソンリサに来て、スタッフたちにトニーが峰さんに文句をいっていた、集団で脅しにきた(寿司パーティーがあったことを知らなかったので、仲間をつれて脅しにきた、という話をしました)という話をしました。
結果、移住の話で私と峰さんがもめた話をこのバーテンダー 緒方 メイズバージョニーが複雑にしてしまい、カフェテリアソンリサの当時のスタッフに私が峰さんをいじめにいったように誤解されました。
これを都合がよいと見た当時の 経営者(こここでは徳永)はこのチャンスを利用して、私から経営権を奪うためにいろいろな嘘を言います。
あとから考えると、この寿司パーティー事件そのものは、徳永が私にカフェ経営をやめさせるためにジョニー緒方と手を組んで行った作戦だった、そうです。近所の天満駅の燻製飲食店経営者から知りました。
その結果、スタッフは私と話をしなくなり、徳永は、「経営権をはなれてくれ、僕が単独でやる」と言い出しました。私は実質500万円以上投資しているのに、はいそうですか、とは言えませんので、いろいろ考えて、経営権をとることにしました。実は2015年5月の時点で、カフェへの出資のほとんどが結局私の取り分となっていた(カフェを法人にしていたので、圧倒的に法人への貸付額はトニー分が多くなっていた)ため、法律的に私が経営権をとることのほうが簡単になっていました。6月に経営権を受け取る代わりに文句を言わないことで合意しました。なぜならば、6月の時点で毎月マイナス20万円以上の赤字経営だったからです。
このような経緯があり、2015年6月30日で経営権をとり、カフェの名前をカフェマラッカに変更しました。
上記をお読みいただけると、結局 バーテンダー緒方と、徳永という前の代表者がしくんだ罠に私がはまりそうになりながらも、法人化していたので、経営権をとることができた、という経過があります。なんでも明朗会計、法令順守がよいですね。
上記経緯があって、2015年6月までの前のカフェテリアソンリサと、2015年7月以降、今のカフェマラッカの区別がついてない人はまだいるようですが、中国語漢字とスペイン語の違い、ロゴの違い、壁の文字の違い、音楽の違い、メニューの違いなどから気づいてほしいなと思っています。
2015年から新規オープンした カフェマラッカはまったくコンセプトの違うお店となりました。
そして2018年7月1日に4年目を迎えます。
飲食店の競争はどんどん激しさをましており、食べログのようなお金を払った飲食店だけをGoogleに表示するようにするような困ったサービスが今多いので、それを対策するために今年は4階に美術館もオープンする予定です。ぜひお楽しみに。